Critique of Games メモと寸評

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有害/優良指定論議

 それはさておき、優良図書とゲームという話は、まあ、正直なところどうなのだろう。「優良図書」「有害図書」などといったものを国だとか、市だとかそういった公的機関が決めるというのがそもそもちょっと奇妙な現象である、というのはいまにはじまったことではないけれども。
 にしても優良/有害というのは、実際のところどういう根拠に立脚した形で議論してるんだろうか。マスコミ報道の中で暴力・エロ系のものが眉をひそめられるというような類の「良識」に影響されて議論されちゃったりするようなヘナヘナ感のただよう実情とかも本当にあるのだろうけれども、もし自分がそういうのを議論しなければいけない役職に無理矢理に就かされてしまった場合とか、どういう議論にもっていけばいいのだろう。なかなか想像がつかないな。

 とか思いつつググってみると、「有害図書撲滅」「有害」規制監視隊をとなえていらっしゃる大変にエネルギッシュなサイトを発見。がんばってください。

 これを見ていると、有害云々の議論は埼玉県なんかだと、一般から公募した「青少年健全育成審議会委員」などにまかせてやっているらしい。ほほー、そういうのに応募する人というのがいるわけだな。一般から応募するのは結構だが、「書類選考のあと、面接による第2次審査が行われ、5月中旬までに選考結果が通知される」とかって書いてあるが、その選考過程におけるイデオロギー的中立性の保障とは言わないまでも「社会的に望ましい意思」とか、っていうものはどのようにして保障されうるのだろうか?見た限りだと、県につとめてる公務員の面々が決めちゃってるようだけれども。就職試験じゃあるまいし。そんな制度でいいもんなのか。でもまあ、県職員とかも本人が保守っぽい人とかでもない限りこの応募をやってる職員当人達も面倒でたまらないのかもな、本当に。(少なくとも、自分が公務員でそんなことやれと言われたら、確実にダルい)

 他にも、CEROがやってるようなレーティング制度っていうのは単に年齢ごとに適正なものを決めるという程度の比較的温和なものだけれども、こっちは「有害」というきわめて強い表現なわけですけれども、そこらへんの差異を気にするのも面倒なのか、「CEROの基準を援用すれば、ま、いいんじゃね?」みたいな話になってたり、なかなかにダルさ全開。

ところで優良なものの根拠というのは何なのでしょうか。

 有害図書指定については、なんとかがんばって「科学的根拠」らしきものを発見しようとしているのが会議の様子などを読んでいるとわかるし、委員の方々も外野から突っ込まれないように武装しているのはわかるんですが*1、ググってみてもわからないのは、「優良図書」の論議。
 優良図書の「科学的根拠」らしきものを論じているのが見つからない。
 「オーイエス。この本からはマイナスイオンが出てるから確かに優良な効果があるヨ!!」みたいな論拠をゲットしたいわけですが、どうしてみんな、これについては何も口を挟まないのでしょ。もちろん有害図書指定になったら実際に書店において特定の年齢層に対して「販売禁止」という強い措置がとられることになり実効性のきわめて強い問題だというのはあるけれど、自分は『わが子に帝王学を』堀川たかしが、子供にとってどのように優良なのか知りたい次第。

 結局、優良図書を選定する基準として発見できるのは、東京都青少年の健全な育成に関する条例第5条、第8条及び第14条の規定に関する認定基準あたりで、

(1)社会の良識と倫理観念のかん養に役立つもの
(2)正しい知識と教養を深めるもの
(3)人間的愛情を豊かに育てるもの
(4)美に対する感覚を洗練し、豊かに育てるもの
(5)健全な娯楽作品として優れたもの
(6)思考力、批判力又は観察力を養うもの
(7)前各号のほか健全な心身の成長に役立ち、福祉の向上に資するもの

 という「科学的根拠」というよりは、価値の多元性を当然のように認めるという緩やかな方向性ぐらい。
 ここで見られるような、有害図書指定の時はやや絶対的な「科学的根拠」らしきものが必要とされ、優良図書認定のときは価値の多元性のようなところでヌルーく終わらせてしまえるという非対称性は一体どうしてなのだろうか。

*1:つっこみようのない議論をしていると言っているわけではありません。あたりまえですが