Critique of Games メモと寸評

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パナウェーブ研究所、じゃなくてクリスト&ジャンヌ=クロード

白装束の集団(パナウェーブ研究所http://www.panawave.gr.jp/)が、そこらじゅうのものに白の布をはりめぐらせているのを見ると、多くの人が思い出しただろうが、やっぱりクリスト&ジャンヌ=クロードの「作品」を思い出してしまう。以下、パナウェーブ研究所の話とはまったく関係ない。
 クリスト&ジャンヌ=クロードのドイツの旧帝国議会議事堂をまるごと梱包するというプロジェクト《梱包されたライヒスターク、ベルリン、1971-95》WRAPPED REICHSTAG,BERLIN,1971-95の公式記録映画『議事堂を梱包する』という映画を前にみたけれど、あれは24年がかりのプロジェクトで、当初はドイツの政治家に反対されたりして何度も却下されたりしていたが、頑張って政治家連中に働きかけ、ドイツ国会を動かし、なんとかして国会で可決されるまでもっていくという、おそろしい情熱と粘りをもって行われたプロジェクトの記録だった。だいたいプロジェクトの総費用10億円という巨額の資金が、スポンサーも助成金もなくすべてクリスト個人の努力によって資金調達がなされている、というのも驚く。
 クリストのこのプロジェクトは傍からすれば、その気力は一体どこから湧いてくるのか、という不思議さに満ち溢れているけれども、特に奇妙に聞こえたのは、記録映画の中で「芸術の自由」という言葉が声高に叫ばれていることだった。
 彼らは、あくまでドイツ国会の承認を得ることにこだわって、きちんと現代社会の中で許容される手続きに沿って活動をしているわけだし、金も人手もとんでもなくきちんとした量を集めてやっていて、そこで成立している「自由」というのは全然ストレートな意味においてではない。そこで言われている「自由」は時代的・地理的な特殊性と結びついた意味での「自由」である。だから悪いとかいいとかという話ではないが、どうしてここで「自由」などという言葉が叫ばれなければならないのだろうか、というのがとても不思議な気がした。そのような言葉でなくても、いくらでも言うことはあるだろうに。
 ――強引にパナウェーブ研究所の話とからめると、パナウェーブ研究所の作り出した白い空間は、クリストのそれとは違って、カップメンやらなんやらのゴミが山積しているのがとても印象的だった。
 あれを宗教芸術と呼んでしまっていいかどうかは微妙だが、宗教芸術とかの世界っていうのは、その内部で生きる人々の生活と直接にかかわりながら微妙にダサく――というか生活臭を漂わせながら存在するもんなんだなあ、と。