Critique of Games メモと寸評

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90年代ベトナムゲーム事情

うちに来てるベトナムの留学生(1982年生まれ)からいまさっき聞いた話。忘れないうちにメモっとく。

  • 93年ごろぐらいに、小学校高学年だった彼の周囲では、ファミコンが熱狂的に遊ばれていた。値段は、30分あたり500ドン。だいたい、朝食のパン一枚ぐらいの値段に相当。もちろん、ベトナムの子供は、自宅でファミコンを購入するのは値段が高すぎるので、無理だった。
  • 雰囲気としては、現在のインターネットカフェのシステムに近い。カウンターで、Tシャツを着た、やる気のなさそうなお兄ちゃんが、入場時に紙に時間を書き、それをそのままテレビに貼り付けて管理。
  • 95年頃から、スーファミが導入された模様。一時期、セガサターンなども流通していた。(サターンの名前はあまり覚えていなかったが、「ボタンが6つあった」とのこと)
  • 2000年頃からは、インターネットが普及し、オンラインゲームが主流に。
  • ファミコンスーパーファミコンの形は、日本で流通しているものの形と、形状としては同じものだったらしい。しかし、日本の正規品は高くて購入できないため、ゲーム喫茶?の人は、中国製のものを買い揃えていたものと思われる。
  • ゲーム喫茶?の事業者は、基本的に正規の事業者ではなく、届け出などもなく、個人が勝手にやっていただけのものと思われる
  • 主に遊ばれていたゲームは、スーパマリオブラザーズ、スーパータンク(何のことはよくわからなかったが、話を聞く限り『バトルシティ』っぽいゲームの模様)など。

なるほど。。。
シンガポールにせよ、中国にせよ、韓国にせよ、そうだけれども、この手の中国コピーもの流入だとかで家庭用ゲーム機が流通している市場はこういうことが起きるのだよなあ。台北市のゲームセンターに置かれてる筐体とかって今でも爆笑モノの筐体がたくさんあるけど。

しかし、このような形で、低コストで運用可能なゲーム喫茶のシステムが成立していたのであれば、どうして2000年以降にアジア圏で急速にオンラインゲームを主流としたネカフェがあれだけの速度で広まったのだろうか…。ビジネスモデル的な強みがあるだとか、そういったことはもちろん理由として挙げられるとは思うけれども。


韓国などの場合は、元からファミコンなどの文化流入がかなり抑えつけられていた*1ところに、韓国の経済成長と併行して、90年代末のリネージュブームがどかんと押し寄せるので、いろいろと説明しやすいところがあるのだけれども、アジアの展開は一筋縄ではいかんなぁ。台湾もそうだけど。フィリピンとか、インドネシアとかもどうなってたのだろうか。

*1:とは言ってもなかったわけではない。90年前後に、SamsongなどがSega製品の輸入をやったり、日本のゲームを特集するゲーム誌なども存在していた