Critique of Games メモと寸評

http://www.critiqueofgames.net の人のブログです。あんまり更新しません。

書きました:『ユリイカ ソーシャルゲーム特集』、『中心をもたない、現象としてのゲームについて 第13回

 アメリカ出張から帰ってきました。明後日(3日~7日)から今度はソウルに行ってきますが、家に帰ったら寄稿させていただいた雑誌など届いておりましたので、お知らせしておきます。

宣伝(1)「ユリイカ」2月号ソーシャルゲーム特集に掲載されております。

https://www.amazon.co.jp/dp/4791703235
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1701/22/news027.html

井上の執筆原稿は、
「コミュニケーションの複雑さを諦める自由
 ―ゲームを通じた新しい自由について―」
というタイトルで、
ソーシャルゲームの話そのものというか、ネット上に拡散した、「ゲーム的」な要素が埋め込まれた各種のコミュニケーションプラットフォームのなかで、いかにコミュニケーションが変容したのか。そして、そのコミュニケーションの変容をどのように評価するべきか、という話を書かせていただいております。

 

宣伝(2)

本日あさ、PLANETS WEB連載『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第13回が更新されました。

今回は、また、純理論的なはなしにもどった感じで、前までの展開を忘れている方には、読み直していただかないと、話を思い出すのに手間取る状況になってきておりますが、
今月の、タイトルは「プレイヤーのいないゲームは存在しうるか?」ということで、ゲームにおける主体の有無みたいなものをどう考えるかというところから、ゲームの「学習説」を整理しようというフェイズです。
 まだ、山の三合目か、四合目ぐらいの議論ですが、お付き合いいただければ、幸いです。

[ブロマガ]http://goo.gl/GIw8E5 [note]http://goo.gl/ntkF7w

 

 

宣伝(3)
AERA1月30日発売号「依存から私を守る」
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=18774

こちらの特集のほうに、取材先のセンセーということで、ちょろちょろとしゃべらせていただいております。雑誌全体のトーンは、いかにもゲームを非難するような感じですが、AERAの記者の方は、けっこうよく調べていらっしゃって、見出しはともかくとして、記事内容は、ゲームについてけっこう中立的に書かれているように思えました。