Critique of Games メモと寸評

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吉田さん「プレイバー論の射程」

読んだので、短いメモ。

 

吉田 寛「プレイバー論の射程」『ポップカルチャー・ワールド概念を用いたポップカルチャー美学の構築に関わる基盤研究 研究成果報告書 2016-2018年度 2018年度
研究集会「インスタ映えの美学 ─溶解する『写真』と『現実』」』室井 尚研究室,pp25-30

https://www.academia.edu/38721485/On_Playbour_In_Japanese_2019_

 

要約:

1.ハッカー倫理的な遊戯と労働が不可分になった感覚と、フォーディズム的な労働時間管理的世界観において仕事の時間とオフタイムがしっかりと分割されるような労働観はそもそも別物だよね、という論点を確認した上で、

2.労働と遊戯が不可分になった「プレイバー」的状況は、ある種の創造的な事態でもあったが、無償労働としての側面ももってしまっていることについて問題提起している。大塚英志も「物語消費」ではなく「物語労働」という概念を使うべきだったと最近は言っている

 

感想など:

  • 前半の世界観の違いに言及するだけでなく、後半の「無償労働」としての論点まで触れていたりするのが好印象。あと吉田さんからレギュラシオンとかに言及があったのはちょっと意外。
  • ゲーミフィケーションとやりがい搾取の話が表裏一体であるという話と基本的には、同種の話ではある。
  • そして、こういう話を読むと、鈴木健なめらかな社会とその敵』の講評会のときの議論を思い出す。近代的な制度区分の中間領域を豊かにしていこうとすると、近代的な制度区分がエラーを起こすので、中間領域をハッピーにしようと思うと、既存の制度との間の調整をやっていかざるを得なくなる https://togetter.com/li/561596
  • プレイバーが無償労働でもありうるという議論自体は、そのとおりだと思うが、これは(A)本質論的な話として提起されている問題なのか(B)それとも今後、制度的な調整をすべく、現状として起こっている社会問題の確認なのか、どちらのものとして吉田さんは主張をしているのだろうか
  • この問題について、私の立場は基本的には、後者(B)であり、プレイバー的な問題に対するガイドラインを作るだとか、制度間の不均衡をなんとかするための方策に向けた議論を、中長期的にやっていかないといけないだろうと思っている。(私自身、そういった活動をしなければいけないと思っているが、残念ながら時間がとれていない。)
  • (A)の立場だとすると、労働や遊戯の概念について、より込み入った議論を展開してくれると面白そうだという気がする。
  • プレイバーの議論に限らずより大きな話をするのであればテクノロジーによってもたらされた既存の社会システムのエラーであり、トリスタン・ハリスとかの議論にもつながっていくものかと思った。https://wired.jp/special/2019/ai-yuval-noah-harari-tristan-harris