Critique of Games メモと寸評

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80年代のゲームの言葉シリーズ(1)

問題。この紹介文は何の紹介文でしょうか。

まず自分の名前を登録すると、画面内のキャラがその名で呼びかけてくれる、という遊びのノリがたまらない。
(省略)
なんと言っても楽しいのは、画面に登場するキャラクターすべてが話し好きなことだ。ある者はヒントを、ある者はただのおしゃべりを答えてくれる。城の外にはデートをする若者までいる。必要なアイテムには「王女の愛」なんてものまである。王女がプレイヤーにたずねる。「○○さまはわたしのことをあいしてくださいますか」、ここで「いいえ」といれたり、悪の竜王から「手をくもう」と言われて「はい」と答えたりすると、物語は意外な展開をする。
 もちろん戦いはあるが、相手によっては逃げてもいい。「にげる」なんてコマンドは絶対にアクションやシューティングにはない。攻撃力もランダムに設定されていて、「渾身の一撃」で相手を倒したりすると、道で一万円札を拾ったような感動がある。
 もちろんゲームは途中でセーブできるし、持っているアイテムは消えない。途中で死んでしまうと、王のお叱りの言葉が待っているし、手持ちのゴールドも半分になってしまう。お金がなければ宿屋にも泊まれないし、武器も買えない。「ゼルダ」もそうだが、金がなければ何もできない資本主義の枠がばっちりとはめられているところが、現代人の自虐性にぴったりとマッチしているのだ。

 私はこの紹介文を読んで、思わずこのゲームをやりたくなってしまった。
 NPCとたくさん会話をすることができて、物語もインタラクティブに展開して、戦闘をするのもしないのも自由、そして、なんとゲームの中に貨幣経済が再現されている、―――などと聞くとどんな未来のゲームかと思うが、語られているのは86年に発売された『ドラゴンクエスト』の第一作目のことだ。

 これは、1986年11月20日初版の小林正樹『大人のためのファミコン必勝講座』に掲載された文章で、当時まだ社会現象化していないドラクエ1というファミコンではあまりメジャーでなかったジャンルを語る際にこういう説明が載ったわけだが、この紹介はとりわけすごい、と思ったので掲載した。
 今ではほとんどのプレイヤーにとって自明視されているゲームの中で「金を使う」という行為をさして「金がなければ何もできない資本主義の枠がばっちりとはめられているところが、現代人の自虐性にぴったりとマッチしている」などという誉め言葉は2004年現在のゲーマーにはまず出てこないし、ドラクエ1のNPCを見て単調だと思いこそすれ、「話好き」などと表現しようなどとは思わない。「ええっ!?そこで驚くの?!」ということに驚いてしまう。

 ここ数ヶ月80年代のゲームの資料をあさっていたのだが、80年代はゲームの受容のされ方は、現在からすると本当に違っている、ということをここ数ヶ月で思い知った。他にもネタがいろいろとあるので、とりあえず、ネタに困ったらこのネタで。


■補足トリビア
詳しい人にはよく知られている話だが、ドラクエ1が発売されたのは1986年5月。現在では、押しも押されぬ人気作も、ドラクエ1が発売された直後の扱いはあまりたいしたものではなかった。当時、ファミコン雑誌等の水準では「RPG」といえばアクションRPGゼルダの伝説』のことであり、例えば、ファミコン通信創刊号(86年6月20日号)などを見てみると、『ゼルダの伝説』や『謎の村雨城』といったソフトの記事が何ページもわたって取り扱われているのに比べて、『ドラゴンクエスト』の記事は見開き二ページの紹介と、エニックス自らの広告ページの合計三ページだけだ。ドラゴンクエスト1が大体的にフォーカスされるのはファミコン通信コンプティークBeepなどといった雑誌ではなく週刊少年ジャンプの記事で行われることで大ヒットにつながっていく。

■補足トリビア
紹介した小林正樹『大人のためのファミコン必勝講座』は全体的にはあんまりおすすめしません。86年はまさに「ファミコン・ブーム」という年であり、同年の8月10日にも『お父さんに捧げるファミコン講座』ファミコン中年団著、などといった類書も出ていたり、86年はファミコン関連本が沢山出版されています。ほとんどのものが「資料」として読む以外の観点ではオススメできない本ばかりです。

■補足トリビア
1960年代〜70年代前半生まれのゲーマーにとっては当然のことをたくさん書くかもしれませんが、生暖かい目で見守っていただければ幸いです。