Critique of Games メモと寸評

http://www.critiqueofgames.net の人のブログです。あんまり更新しません。

肩書についてのエクスキューズ

記事に出てることがあるかもしれないけど、それは自分の本意じゃないよ、という言い訳記事です。だいぶ、前に「下記のような言葉は、たぶん自分のチェックミスが、チェックスルーしてます」的な記事を書きましたが、それと同様のやつです。

私がほとんど使わない言葉遣い 簡易まとめ - Critique of Games メモと寸評

 

他人から見たら、まあ、どうでもいいタイプの話なんだろうとは思ってますが、こちらから、特に指定しないと、次の肩書のいずれかを、割り振られることが多いです。

 

「ゲーム研究者」
「ゲーム研究」
「ゲーム学」
ゲーミフィケーション研究」
「ゲームスタディーズ」
「ルドロジー
「ゲーム研究家」
「ゲームジャーナリスト」

 

 基本的に、私が自分で付けている肩書で名乗っているのは、「ゲーム研究者」で、分野の名称としては「ゲーム研究」を名乗っていることがほとんどだと思うので、「ゲーム研究者」ないし、「ゲーム研究」としておいていただけると基本的にはありがたいです

 他の名称でくくられても、個別のできごととしては、別にそこまで問題ではないことも多いのですが、他の名称は以下の理由で控えています。

  • 「ゲームジャーナリスト」:至急訂正案件。一度、こう書かれたことがあるんですが、「この誤解はどこから……?」状態。さすがに、やってることがだいぶ違うので。私は、近年のゲーム業界の最新動向とかを聞かれても、けっこう重要な知識がボロボロ抜け落ちていたりするので、単に誤解です。
  • 「ゲーム研究家」:要訂正案件。この名称も、大学とかの研究者というよりは、もう少し大学の文脈とは離れて、自由な観点からやっている人という印象がやや強いので、この名称は使っていないです。どちらが偉いということではなく、大学研究者の「研究」のアプローチというのは、ある程度せまい範囲の営為を指していると思っているので、日々やっていることの内容の理解にたぶん誤解が発生するタイプの肩書かな、と思います。しばしば「ゲームのことはなんでも分かる人」的な誤解があるんですが、正直「なんでも」はわからないです。研究の活動は「わからないことが、いっぱいあるなあ……」という活動の日々なので……。
  • 「ゲーム学」:できれば訂正案件。「ゲーム学」という体系化された一群の学問領域が確立されているかのような誤解を与える感触があるので、いまのところ使っていないです。数十年後にこの名称を名乗る可能性はなくはないですが、うーん、どうだろう、という感じ。
  • ゲーミフィケーション研究」:できれば訂正案件。前から申し上げていますが、ゲーミフィケーションは研究対象というより、実践の対象として取り組んでいるので、あまり研究領域だとは思って取り組んでおりません。とはいえ、10年前と違ってゲーミフィケーションに関わる研究も、国際的にかなり増えているので、「研究」として取り組む土台はできあがりつつあるな、という気はします。これも数十年後にこの名称を名乗る可能性はなくはないです。
  • 「ゲームスタディーズ」:「まあ、いっか」案件。この名称は、英語圏の人文系ゲーム研究を中心に使われており、まあ、自分がこの筋の人だと思われても、まあ、そんなに大きな誤解があるというわけではないです。若干ノリは違うんですが、「まあ、いっか」というぐらいの範疇です。
  • 「ルドロジー」:「まあ、いっか」案件。ゼロ年代に「ナラトロジストvs ルドロジスト」という対立があった……ということになっていますが、別に自分はどちらの陣営というわけでもないので、そういう意味を含む言葉を積極的に使っていきたいという気持ちはないです。でもまあ、これも「まあ、いっか」という範疇です。

 

 あと、これに関連する話題で、「ゲーム」なのか「ビデオゲーム」なのか「コンピュータゲーム」なのか「デジタルゲーム」なのか「テレビゲーム」なのか……系の話題があります。
 松永さんとかの場合は『ビデオゲームの美学』の冒頭でも明確に「ビデオゲーム」という語彙を選択することを強めに宣言してますが、

 井上の場合は研究対象は、特にビデオゲームにこだわらず「ゲーム」概念それ自体をアナログの遊びや、ゲーミフィケーションなどを含めて、広く現象として捉えているという感じです。とはいえ、日々触れているものは、ビデオゲームのなかでも特にインディーゲームとかが中心ではあるのですが、まあ、もう少し広めの関心範囲です。