直前広報!GDC報告会の翌日デツ!
http://www.glocom.ac.jp/j/labs/azuma/project/game/
参加人数けっこう多めになってきたので、はやめのお申し込みを。とはいっても多分、いまのところ断りをいれるほどにはなってないので大丈夫です。「ムリです」というメールのいかない限り来ていただいてOKです。ただ、来る意志だけは事前にお伝えしていただかないと、椅子の数が用意できないと思いますのでその点だけよろしくお願いします。
あと、参加人数がかなり多めになってのに対応して懇親会をちゃんとセッティングすることにしました!
最初のご案内で懇親会参加についてお知らせがいっていなかった方は、懇親会参加するかどうかについても僕のほうまでお知らせいただければ。
イベント当日までばたばたしてると思うので、返信がちょっと遅れたりやたらと早かったり変なペースになってるかと思いますが、ご容赦いただければ幸いです。
RGN:第一回「死の表現をめぐって」
ゲームは死を描けるのか?
評論家として知られる大塚英志はキャラクタ小説の入門書(大塚英志『キャラクター小説の作り方』2003、講談社)において、小説を描く上で立ち上がってくる重要な問題の一つとして「死をどう描くか」という項目を設け、数十頁にわたり念を入れて解説している。
大塚は「記号的でしかありえない表現が現実の死を以下に描き得るかという問いかけ」がジャンルを問わず、多くの作家たちが直面している問題として指摘する。と、同時にゲームにおける死の表現が「人の死をパラグラフの数値として示し、リセット可能なものとして描いてきた」「映画やまんがやミステリーが人の死を記号的にしか描けないという限界を自覚した上で「現実」との関わりを模索しているのに対して「ゲーム」や「ゲーム」を出発点とする「ゲームのような小説」はその努力がぼくには乏しいように思えてなりません」とゲームの表現に対する危惧を表明している。
大塚の問題意識はこうした表層的な死を表現するゲームの悪影響に対する危惧というだけではない。大塚は安易な死の表現を批判すると同時に、いかにしてフィクションの中で描かれる死が、現実の生身の身体の死に近いリアリティを持って描かれうるか、ということを問うている。表現の表層性を非難すると同時に、強いリアリティを持った死の表現を確保せよ!と叫ぶものでもあり、これはゲームの表現がその水準に達していないという批判でもある。本発表では、ゲームの死の表現の可能性や限界に焦点をあてる。まず、ゲームにおける死の表現の内容分析を行う。その次に、この死の表現パターンに対応するかたちで、ゲームについての批判的/批評的言説が分布していることを、言説分析によって確認する。そして最後に、ゲームにおける死の表現法の、新しい視点を提示できればと考えている。
概要
■発表者・司会:
井上明人(http://www.critiqueofgames.net)■コメンテーター:
hally(http://www.vorc.org/)
茂内克彦(http://www.intara.net/)
濱野智史(国際大学GLOCOM研究員)場所:国際大学GLOCOM
日時:2006年4月9日(日) 13:00〜13:00 開場
13:25 冒頭のご挨拶
13:30〜14:30 発表
14:30〜14:40 休憩
14:40〜15:40 コメンテーターによる発表+ディスカッション
15:40〜15:50 休憩
15:50〜16:40 ディスカッション
16:40〜17:00 質疑応答■申し込み
メールのタイトル(Subject)を
「RGN#01 申し込み」
として、inoue@glocom.ac.jpまで下記をご記載のうえよろしくお願いいたします。
[ご所属(貴社名・学校名)]
[所属部署]
[役職]
[ご氏名]
[E-mail]
[TEL]
[FAX]
[郵便番号]
[所在地]
[ビル名]
[懇親会への参加] する・しない (3500円)
※懇親会は、一人3500円
「フィヨルド」にて
17:40〜20:00を予定しております。なお、定員になり次第、締め切らせていただきますのでご了承ください。