ごくごく一部の人向けの文脈だけれども、
だいたい19世紀~20世紀初頭にかけての遊び論だと基本的にドイツが中心で、
まず、
- (1)シラーの「遊戯衝動」1801の話(『崇高について(Über das Erhabene)』)
- →カントにおける自由や、ゲーテからの影響あり
- (2)カール・グロース『動物の遊び』(1896)での準備説
- →ハーバート・スペンサーに対する批判的検討としての側面
- (3)そして、ボイテンディクによるF.J.J. Buytendijk, 1933, Wesen und Sinn des Spiels(遊びの本質と意味)
- →フロイトの死と性の議論に対する批判的検討としての側面
という流れが、ボーンとでっかくあるという感触がある。だいたい20世紀中盤に、がっちりと遊戯論を書いているピアジェとか、M.Jエリスとかを見ると、ここらへんの流れを意識した章立てに、みんななっている。ホイジンガとカイヨワもこの流れは概ね意識しているなというところがある。
この中でシラーやK・グロースは、日本語、せめて英語でのアクセスがあり、まだなんとか、という印象なのだが、ボイテンディクの文献へのアクセスが端的に言ってちょっと辛い感じがある。
そもそも、ボイテンディク(1933=1976)は、ドイツ語の文献しかない??ようで、国内だとおいている図書館も少ない。
CiNii 図書 - Wesen und Sinn des Spiels
どうしたものかという感触がある。
ガダマー,1960や、西村清和,1989にも、明確にボイテンディクの影響が強く見られるので、なんとかしてDeepl翻訳でもいいので目を通しておきたいところ。