Critique of Games メモと寸評

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主にゲーム研究等に関わるテーマのメモです。

 

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2019年は、日本のゲーム研究のステップアップを実感できた年

 謹賀新年。あけましておめでとうございます。

 

 2019年は、制度的な面で、日本の人文系のゲーム研究が徐々に、それなりな感じのする雰囲気になってきた年だと言えるのではないだろうか。

 2019年に日本の人文系のゲーム研究であったことを簡単にまとめると、

 

書籍

  • 日本語でゲームの学術論集が、2冊発刊(『ゲーム学の新時代』『多元化するゲーム文化と社会』)
  • 訳書としては、松永訳、ミゲル・シカール『プレイ・マターズ 遊び心の哲学』発刊
  • 前年には、『ビデオゲームの美学』『ゲンロン8』発刊。

カンファレンス・研究会

大学

  • 東京大学文学部(吉田)、京都大学文学部(井上)でも人文系のゲーム研究についての授業が開講。
  • Martin Rothの立命館先端研着任。吉田さんは東大に。井上は立命館で専任に。

 

 他にも、いろいろとあると思うが、大きなところはこんなところか。

 何よりも、「それなりに読みごたえのある」水準のものがだいぶ増えてきたということは大きなことだと思う。これは、松永さんをはじめ、中川さん、松井さんらの貢献が大きい。ゲームについて、人文学的な視点から、何かを論じたいという人が日本語で読むものの量がもう少し増えないと、いろいろと厳しいところはあると思うので、あるレベル以上のテキストが多様な論者からコンスタントに出されている状況をもうあと、何段か上のレベルで実現していきたいという思いはあるが、この1年半ぐらいのペースで発刊を維持できれば、当面は嬉しいところではある。(正直、2020年はペースダウンせざるをえないと思うが……)

 国際カンファレンスは、中村先生をはじめ多くの人の努力でどうにかなったという感じだったが、これも本当に大変だった……。

 また、上記に挙げたことの半分以上は、私は何かしらの形で関わっているが、京大の授業と、International Digital Game Preservation 2019以外のイベントについては、いろいろな方に主導していただいたおかげで成立したものである。改めて、御礼を申し上げたい。

 私個人としては、立命館の専任講師になったことで、いままでやっていた仕事に加えて、新しく授業をつくらなければ行けなかった。そのため、正直なところ、今年は、かなり忙しく、多くの方にご迷惑をおかけした(している)。

 

 2020年もステップアップを実感できる年になるように願いたい。

 

多元化するゲーム文化と社会

多元化するゲーム文化と社会

 
プレイ・マターズ 遊び心の哲学 (Playful Thinking)

プレイ・マターズ 遊び心の哲学 (Playful Thinking)

  • 作者:ミゲル・シカール
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2019/04/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
ビデオゲームの美学

ビデオゲームの美学

 

 

 

 

 

エリート高校の効果ナシ、という論文

成田くんが紹介( https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=2969)していた論文。

回帰不連続分析こと、1点差で高校に入れなかった組と、入れた組のその後の成績を比べた場合、ほとんど差はでなかった(どころか、むしろややマイナスの効果があった)とのこと。

Econometrica, Vol. 82, No. 1 (January, 2014), 137–196
THE ELITE ILLUSION: ACHIEVEMENT EFFECTS AT BOSTON
AND NEW YORK EXAM SCHOOLS
BY ATILA ABDULKADIROGLU ˘ , JOSHUA ANGRIST, AND PARAG PATHAK

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/pdf/10.3982/ECTA10266

 

一点差で、マイナスが出たのは、2:8の法則の影響とかがありそう。エリート集団の中で、下位であるより、非エリート集団のなかでトップの方が自己評価は高まりそうな感じはする。

gaming disorderの報道関連について、思ったことのメモなど

簡単なメモ

 

  • gaming disorderに関する議論は、調べればすぐわかることだが、Griffithsらなどの研究等を筆頭に、「科学的」なプロセスでの国際的な合意形成に向けた議論は積み重ねられている。単にgoogle scholarで、ぐぐって読んでほしい。たとえば、下記のレビュー論文にざっと目を通すだけでもいい。King, Daniel L., Maria C. Haagsma, Paul H. Delfabbro, Michael Gradisar, and Mark D. Griffiths. "Toward a consensus definition of pathological video-gaming: A systematic review of psychometric assessment tools." Clinical psychology review33, no. 3 (2013): 331-342.https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0272735813000056
  • このプロセスは基本的にゲーマー寄りの側からの反論が「そんなものは科学ではない」ないし、科学方法論批判的なメタ的批判が多く、同じ土俵で戦えていないという感触がある。このままだと、噛み合わないまま、話がすすんでいく。(もっとも、SNS内での議論自体はやらないよりは、やったほうがいい。ただ、片方の側がネット上にいないので議論自体がほとんど成立していない。)
  • 正直なところ科学批判系の議論は、もちろん重要だとは思うが、単純なはなし、有効打になっていないと思う。
  • gaming disorderに関する「科学コミュニティの合意形成プロセス」に、どう介入するかを考えないことには、政策的にこの問題に意見を反映させていくのはむずかしかろうと思われる。
  • 「長時間プレイ」が特に問題化されているのだという誤解は、gaming disorderの批判側も推進側も等しくもっていることが多いが、これは非常に不毛としか言いようがない。長時間プレイが論点なわけではない。
  • gaming disorderの報道はかなり問題のある報道が多く、私がコメントした朝日の記事も全体的な論調としてはかなり微妙で、無力感が漂った。麻薬とかだと「薬物報道ガイドライン」が提唱されており、こういったガイドラインが必要だと感じる。「長時間プレイをことさら問題にするのは、本来、問題のないゲームプレイヤーに対して萎縮効果を与える可能性がある」ということは、取材されるたびに、繰り返し言っているのだけれども、ぜんぜん通じなくて怖い。なんなん。
  • 私に見えている範囲で、理解されていないと感じる、報道に考えてほしいと思うのは、だいたい次のような点
  • 1 どれか一つの要因が主要因であるかのような報道を行わない。:とりわけ、長時間のゲームプレイが主要因であるかのようなミスリードした報道が目立つが、こういった報道は「単に熱中している人」までが不当に避難され、ゲームをしていること自体をスティグマ的に機能させる懸念がある
  • 2 診断基準が複合的基準であることについて可能な限り言及する
  • 3 有病率についての強い合意はない。有病率を報道することの「わかりやさ」の魅力に引っ張られすぎてはいけない。:DSMとICDの基準で、まったく違う数値がでてくる。
  • 4 ゲームによる依存や障害の研究は最近始まったばかりなのではなく、すでに10年以上どういった基準が妥当なのかについて細かな議論を行なっている。最近になってはじめて調査がすすんでいるというわけではない。
  • あと、現状できることとして、やはり報道によるレイベリング効果が心配なので、一連の「ゲーム依存報道」による、再帰的なネガティブな影響がどのような形で現れたのかを、同じ対照群できちんと見ていったほうがいいだろう。小中学校の子供に追跡調査ができたらいいと思うが、社会心理学界隈でそういったことに興味のある人がいたら、ぜひやってほしいのだけれども……。
  • 結局の所、「科学」のコミュニティ内部で可視化されている実証的研究のバリエーションがgaming disorderの実証&治癒に偏るとする、この件についてのレイベリング効果は「科学」からは不可視な現象となってしまうので、ないことと同じになってしまう。
  • 数週間程度でできることなら、もちろん自分でやる。けれども、話の負荷がかなり大きいので、この分野でキャリアを積もうと思っている人が現れないことには、話にがっちりタッチするのが大変。ここらへんが、ゲーム研究コミュニティの層の薄さの問題だと思う。社会心理学の人にもっときてほしい。
  • ってか、今回、報道のあった樋口さんの調査はどこで見られるのかがわからない………。はげひげ先生がコメントしてるのを見ると、なんか、どっかで公開されてるのだろうか……。
  • ここで公開されていた。https://www.ncasa-japan.jp/docs
  • 「ネット・ゲーム使用と生活習慣についてのアンケート結果(概要) 」を読んだが、正直、これは、樋口先生らの「要約」通りにNHKは報道している印象なので、NHK側の問題というよりも、樋口先生サイドの問題だと思った。(NHKの人、すまんかった)。
  • いや、樋口先生、こういう要約はやめましょうよ………。
  • 「別添」のほうが、調査票と、調査結果なので、そちらを中心にデータをみたほうが、よさそう
  • パット見「イースポーツの選手になるために、ゲームをしていますか?」に「はい」答えている子が64人もいるが、この子らについては、プロ選手を目指してスポーツにのめりこんでいる子と、同様の枠組みになるので、単に「disorder」の枠組みで片付けるのは無理が出そう。
  • あとは、はげひげ先生も言っているが、ワンショットではない縦断調査は必要。
  • この質問表に、レイベリングによる負の効果の調査もできるような枠組みをつけてほしいな。っていうか、ゲーム依存のような社会的にレイベリング効果が懸念される調査研究の場合の、調査設計では、そういう質問項目のをデフォルトでつけてほしい……。

 

関連するエントリとしては、下記も参照

 

(1) 2018.3.1

ロシアの自殺ゲーム「Blue Whale」の衝撃 井上明人×高橋ミレイ対談(前編)|Real Sound|リアルサウンド テック

 

(2) 2018.6.14

井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』第25回 ゲームは依存の仕組みなのだろうか?(学習説の他説との整合性⑤)【毎月第2木曜配信】 | PLANETS/第二次惑星開発委員会 

  

(3) 2018.7.17

ゲーム依存関係の話について

http://hiyokoya.hatenadiary.jp/entry/2018/07/17/124831

田中辰雄・浜屋敏(2019)『ネットは社会を分断しない』角川新書 メモ

 

田中先生の新著。面白かったので、ざっと読みながら興味深かった部分などのメモ。

 

ネットは社会を分断しない (角川新書)

ネットは社会を分断しない (角川新書)

 

 

基本的な主張:

2章:ネットの書き込みの分極化は確認できる。

ネットの書き込みの分極化は確認できる。また、ネットを利用する人のほうが、意見が過激化する

3章:中高年のほうが、分極化は強く観察される

(ネット利用率が少ないはずの)中高年のほうが、分極化は強く観察される。

たとえば、下記の研究なども参照。

Boxell, Levi, Matthew Gentzkow, and Jesse M. Shapiro. Is the internet causing political polarization? Evidence from demographics. No. w23258. National Bureau of Economic Research, 2017.

https://www.nber.org/papers/w23258

17年間分の世論調査を確認し、分極化がすすんでいるのは、中高年に顕著であることを示している。

 

4章:2章と3章の乖離を説明するための検証

2章と3章の結論は、互いに反するように見える。これに対する整合的な説明が必要。これは、因果が逆なだけではないか(もともと、過激なことを言いたい人がネットを使って発言している可能性)ということで、同一の被験者が、同じ時期に意見を変化させたかどうかを調べる。

図19:facebookは分極化を加速。twitterとブログ利用は穏健化を加速しているようなデータになったが、いずれも統計的に有意ではなかった。

図21:政治的動機を持つと思われる被験者を除外して、データをとりなおすと、twitter,faceboo,ブログのいずれでも、穏健化が観察できた。

細かく見ると、39歳以下のブログ利用(図24)、女性のブログ利用(図25)、もともと穏健的な傾向の人によるtwitter利用(図26)では、特に統計的に有意に確認できるレベルで、たしかに穏健化の傾向が見られた。

他方で、政治的にもともと急進的な人がtwitterを使うと、さらに過激化する傾向が見られた。(図26)

全体的には、ネットメディアの効果は、穏健化が優勢であるように思われる。

 

5章:選択的接触の実証研究

有名論客のフォロー状況から調べている。

選択的接触は、少なくともtwitterのフォロー状況を見る限りは、自分とは異なるタイプの論客をフォローしており、保守・リベラルどちらかに偏っているひとは5%以下と考えられる。

過激な人のクロス接触率(異なるタイプの論客をフォロー)は低くなる、傾向だが、全体に影響を与えるほどではない。

 

6章:ネット世論と実質分布の乖離を指摘

ネットに書き込みをしていないユーザー全体の右派・左派バランスはむしろ、一峰性の分布を描いている。

 つまり、「ネットで見える世論」と、実際の意見分布の間には真逆と言ってもようような乖離がある。

左・右の両極の意見にアクセス可能な状態のほうが穏健化はすすむのではないか。

 

 

 

関連する書籍・論者:

辻大介

辻 大介, 2018「インターネット利用は人びとの排外意識を高めるか―― 操作変数法を用いた因果効果の推定」 『ソシオロジ』63巻1号(通巻192号), pp.3-20 http://d-tsuji.com/paper/p17/ では、4章の議論とかなり近い調査をやり、逆の結果が出ている。

「二〇一七年一一月に実施したウェブ調査データをもとに、操作変数法を用いた双方向因果モデルによって、[i]ネット利用が排外意識を強めるのか、それとも、[ii]排外意識の強い者ほどネットをよく利用するのか、因果の向きを分析した。その結果、[i]の向きのパスは有意な係数値を示し、正の因果効果が認められたが、[ii]の向きのパスは有意でなく、因果効果は支持されなかった。」(上記論文の概要より)

 

辻大介によるコメント(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57355?page=4)は、「分極化がうながされる政治的イシューとそうでないイシューの違いがあるのではないか」とのこと。

 

また、辻の下記の議論は、田中・浜屋の議論とも衝突はしないだろう。下記は、辻のコメント。

「ネットをよく利用すると、排外主義的な意識が強くなる一方で、アンチ排外主義的な意識も強くなる傾向が確認された。つまり、排外主義的になっていく人、反排外主義的になっていく人が両方とも現れる」

外国人参政権などの排外意識が関わる質問では、分極化の効果を確認。他方で、原発再稼働や、憲法9条改正などは分極化の傾向は薄い。
思想的なポジショニングが変わるというよりも、敵/味方感情が増幅されているのではないかとのこと。

 

笹原和俊『フェイクニュースを科学する』(2018、化学同人

http://hiyokoya.hatenadiary.jp/entry/fakenews

で紹介された、各種の議論とも整合性を考えたい。

確か、facebook資本で行われた研究では、エコーチェンバや、選択的接触の効果のほうが大きく、フィルターバブルの効果は少なめにでたとのことだった。

 

田中・浜屋(2019)では、仮説間の不整合を、因果関係の錯誤の問題として処理していたが、

Sasahara et al,2017 で、示されていたような、創発系のモデルを用いることで、辻(2018)との研究結果の不整合を解決できる道もあるように思われる。Sasahara(2017)では、確証バイアス、社会的影響、社会的切断などの諸条件が整うことで、はじめてエコーチェンバーが成立する可能性がシミュレーションモデルによって示されていた。

すなわち、「中高年のネット利用」「もともと政治的意見が強い人」というのに、辻が仮説として提示していた

1.論点ごとの分極化傾向の違い

2.対象となった中高年の社会的影響

3.対象となった中高年の社会的切断

などを含めて、変数を増やして解析したら、さらに実態に近づけるのではないだろうか。

 

GLOCOMでの研究会PDF

QAが参考になる。

http://www.glocom.ac.jp/wp-content/uploads/2019/09/20191008report.pdf

特に、政治的にポヤヤンとしているだけの、無垢な中立層を「(ネットではない)実態分布」の中に含めているのかどうかが気になったが、

田中さんいわく、「選択肢の中では、「どちらでもない」「わからない」で分けられており、興味がない人はサンプルからすでに外れている。」とのことで、一応、「興味がない人」はサンプルから外れているらしい。

ただ、無垢な層は、香山リカが昔、「プチナショ」とか、言っていた層ともつながっているので、無垢な層をどう排除したかが、分布にかなり大きな影響を与えている可能性は否めないので、そこの説明はもうすこしほしい。(もっとも、田中さんらは、同じ人の傾向変化も調べているので、全体の議論としては、ガードできている。)

 

 

その他の井上所感

質問紙の改善

amazonコメントで、質問表の作り方が悪いと批判されていたが、確かに6章の質問は誘導的な質問になっているものが多く、問題があるだろう。改善したほうが良さそうだ。とりあえずの改善案を晒しておく。

 

元の質問「ネットで実りある議論をするのは難しいと思うか」

改善案「ネットで議論をした際に、どの程度よい議論をできたと思うか」とても生産的/やや生産的/やや不毛/とても不毛

 

元の質問「ネットで議論する人に不寛容な人が多いと思うか」

改善案「ネットで議論する人が、どの程度まで寛容だと感じているか」 とても寛容/

やや寛容/やや不寛容/不寛容

 

元の質問「ネットは政治を良くしていると思うか」

改善案「ネットの政治に対する影響をどう評価するか」 とても悪い/やや悪い/やや良い/とても良い

 

 

 

宇野「遅いインターネット論」との関わり

1.ブログがだいたい穏健化にポジティブな効果だったというのは、興味深かった。宇野さんが、twitterfacebookの惨状を批判する形で「遅いインターネット論」というのを昨年から言っているが、twitterfacebookよりもブログのほうが、穏健化に貢献しているというのは、宇野さんの議論と整合的なようにみえる。

2.ただ、実際には、穏健な意見を言う人が、ブログに集まっているだけという可能性もある。私もここのところ、facebooktwitterはいささか、疲れるのでやっていないのだけれども、これはブログが良い場所というよりも、集合的な相互行為の結果としてたまたまブログが逃げ場として成立しているだけという側面もなくはない。

 A:ブログのようなものが、メディア自体の内在的な性質として穏健化を促すのか、

 B:それともネットの生態系のバランスの中で、たまたま今ブログが相対的に良い場所になっているだけなのか

 どちらの仮説が妥当するのかを調べてみるのも面白そうだと思う。

 

追記:書き手のリテラシー問題

 若年齢層(39歳未満)の中で、ブログがポジティブな効果を与えているのはいいとして、やはり、ブログというメディア特有の問題なのか、ブログ利用者の社会階層や政治的リテラシーがそもそも高いだけなのか、という問題の検証は、積み残している論点としては大きいのではないかという気がする。

 だいたいのネットコミュニティで起こってきたのは、「サービス初期のアーリーアダプター層は高リテラシーだったが、徐々に多様なユーザーが参画してきて、カオスになる」ということだった。ブログの場合は、逆の現象がいま起きていて、社会的階層が、平均的にも、高くなっていたりするのではないかという感触がある。長文書くのは大変だし。

 となると、

1.twitter,facebook以前の2010年以前のネットユーザーの分極化のデータとの整合性

2.ブログの書き手/読み手のRST的な調査や社会階層の確認を行う

3.社会階層や、政治的論点の基礎的知識で書き手/読み手のクラスタを分けて、最もリテラシーが低いと思われる層が、長期のブログ利用でどう変化したかを調べる

 等の調査をやるといいのではないかという気がする。もう既に、行われているような気がしなくもないが。

 

 

RPG学研究 Japanese Journal of Analog Role-Playing Game Studies

RPG学研究が公刊されたとのこと。

https://jarps.net/journal/issue/view/1

 

基本的にCRPGではなく、TRPG研究という理解でいいのかな?

 

英語圏でも、「Role Playing Game Studies」を冠する本がZagalやDeterdingsらによって出されているので、名称的には、こうした流れの日本語版ということでよいのだろうか

https://www.amazon.co.jp/Role-Playing-Game-Studies-Transmedia-Foundations/dp/1138638900