Critique of Games メモと寸評

http://www.critiqueofgames.net の人のブログです。あんまり更新しません。

笹原和俊『フェイクニュースを科学する』(2018、化学同人)メモ

基本的な先行研究などを含めて、よくまとめている良書で、勉強になり、非常に面白かった。

特に、三章がこの分野での実証系の先行研究を丁寧に紹介しており、素晴らしい。

 

 

■一章

 略

■二章

認知バイアスについての一般的な研究を紹介する章。認知バイアスについて、一般によく言われることを手際よくまとめてある。関連分野に詳しければ概ね知っているか、というぐらいの内容ではある。

 

認知バイアスCognitive Biasの4タイプ:情報過多、意味不足、時間不足、記憶容量不足

 確証バイアス Confirmation Bias :Hastorf 1954

 利用可能性ヒューリスティクス Availability  Heuristic

 バンドワゴン効果 Bandwagon Effect

 同調圧力 Peer Pressureソロモン・アッシュによる実験(Asch 1951)

社会的影響の実験:ヒットソングにおける社会的影響の効果 Salganik 2006(ダンカンワッツも参加している実験)

情動感染 Emotion Contagion : Berger et al 2012, Fan et al 2014, Kramer 2014

道徳的感情の伝播 Brady 2017

同類性 Homophily : Chiristakis 2007(BMIが近い人どうしで社会的クラスタの形成が見られた。)、Centola 2011(同質性の高いクラスタほど、コミュニティが活発化)

 『デマの心理学』(1952)

   噂の流布量=話題の重要さ X 状況の曖昧さ

 

■三章 本書のもっとも重要な章。

<エコーチェンバー Echo Chamber>

 サンスティーン,2001『インターネットは民主主義の敵か』:エコーチェンバーを民主主義の根幹に関わる問題として指摘。デビット・ショーが1990年に書いた本の中で使われている。

 

 Adamic 2005 政治系ブログの引用関係がしっかりとクラスタ化されていることを明らかに

 Conover 2012 RTのクラスタ化傾向を明らかに。保守系ユーザーのほうが、よりクラスタの密集性が高い

Jasny 2015:気候変動を論じるグループの中で、エコーかつチェンバー※と言いうる状況があることを確認

※推移的トライアド(Transitive Triad)概念を前提としている

 2者が同一の意見を持つ:エコー

 同じ情報が複数の経路を経由して伝播:チェンバー

 

Sasahara et al 2017 シュミレーション実験。確証バイアス、社会的影響、社会的切断などの諸条件が整うことで、はじめてエコーチェンバーが成立(単独条件だと、エコーチェンバーは成立しない)

 

デモサイト

http://bl.ocks.org/haoopeng/raw/055662c96ec770be1930574cfe1553f2/?lang=japanese

 

<フィルターバブル Filter Bubble>

アルゴリズムによるクラスタ形成促進。エコーチェンバーとは区別されている。

イーライ・パリサー『閉じこもるインターネット』で提唱

 

Personalization 2009年にはじまった(ということになっている)

Kosinski 2013 「いいね!」からの属性の推定

Youyou 2015 BIG5(性格特定因子)を推定

 

Dumber's Number ダンバー数:人が安定的な社会関係を維持できる人数の上限といわれている(ロビン・ダンバー,2011『友達の数は何人』)

 

Bakshy et al 2015 フェイスブックはフィルターバブルの原因ではないことを主張する論文(著者らは3人ともフェイスブックのなかの人)。アルゴリズムによる影響力よりも、友人によるフィルタリングの影響のほうが大きいとのこと。また、とりわけ、リベラル派のほうが、イデオロギーが反対のニュースに出会う確率が低い。

 

Politecho https://politecho.org/ 自分の政治的偏りを可視化してくれる

SmartNews ユーザーの政治的好みとは異なるタイプのニュースをある程度配信する

 

■四章

Information Overload もともとはアルビン・トフラー『未来の衝撃』で有名になった概念

Social botTwitter botなど、botの中でもソーシャルメディアで使われるもの

 

Weng 2012 ハッシュタグの人気度はべき分布のなかでも特に「ヘビーテール分布」と呼ばれる裾の重い分布に従っているとのこと。この分布についてシュミレーションモデルを作り、再現することに成功

 

この章の結論として、情報過多な状況下では、注意力のスキを付く形でフェイクニュースが拡散される素地があるのではないか、とのこと

 

 

■五章

対策が紹介されている。この章も知らない話が多かった。

 

メディアリテラシー教育>

ESCAPE Junk News : Evidence, Source, Context, Audience, Purpose, Execution

情報のシェアをする価値があるかどうかのフローチャート

https://twitter.com/newseum/status/901095583229902848

 

<各種のファクトチェックプロジェクト>

大統領候補者のファクトチェック

https://www.politifact.com/truth-o-meter/article/2016/aug/16/post-truth-election-comparing-2016-past-elections-/

 

政治家のTruth meter

https://www.politifact.com/truth-o-meter/statements/

 

Factitious http://factitious.augamestudio.com/#/

 Fake news を見破るゲーム

 

自動ファクトチェックシステム:

 クレームバスター(テキサス大学アーリントン校)

 https://idir.uta.edu/claimbuster/

 この仕組をもとに疑いのある情報を新聞社などと共有

 

 ファクト・チェック・イニシアチブ

 https://fij.info/

 

<法規制>

 ネットワーク執行法(通称:フェイスブック法) at ドイツ

  ←過度な規制として表現の自由と衝突するのではないかとの声もあり

 

■終章

 

ミゲル・シカール『遊び心の哲学』関連メモ

目次:

 

特に丁寧ではないメモです。 

おくればせながら、ようやく読む時間をつくったので、

 

良かったところ

  • メタケトル
  • 建築家へ(7章)
  • 学術的な議論への応答は本文ではなく、脚注にかなり丁寧に書かれており、ゲームスタディーのプロパーにとっては脚注はかなり読み応えがある。

 

 

原注リンク集

http://www.kaminotane.com/2019/04/26/5627/

すばらしい!

このリンク先をあらかた見てから、本文読めばよかったかもしれない。

 

ほかリンク

 

松永X吉田 対談

http://www.kaminotane.com/2019/07/22/6084/

吉田発言部

それに対して、彼は、これからはアーキテクトの時代であるべきだと言うわけです。しかし他方でアーキテクチャは、ローレンス・レッシグ東浩紀環境管理型権力を論じる際のキーワードでもあったわけで[4]、やはり権力装置としての側面を無視できない。強制や命令ではないかたちで権力が作動する機構がアーキテクチャと呼ばれてきたわけですが、しかし『プレイ・マターズ』のなかではそこについての議論がないままアーキテクチャの話がされるので、読んでいて何か足りないなと思いました。

 じつは個人的には、そこはすっと読めたというか、シカールの本でいちばん良かったです。

 もちろん、吉田さんらの論点もわかるのですが、まあ、このあとで、松永さんも補足している通りで、建築家の青木淳さんが書かれた『遊園地と原っぱ』の議論の原っぱてきなものを想定しつつ読みました。

 この後にくる松永くんの整理にはほぼ賛成で、「空間性」というところでいうと、ジェンキンスの議論と一見近いのだけれども、シカールがここで想定しているのは、ほぼほぼ青木さんの原っぱ概念に近いだろうな、という気はしました。

 青木さんとは、ゲンロンの拙稿を読んでくださったとのことで、昨年にイベントでも対談させていただきした。現在では、遊園地と原っぱの二項対立ではなく、その両者が合わさったようなモデルでお考えのようです。

 そこらへんは、青木さんと、僕の対談をセッティングしていただいた、浅子さんがいろいろと書いてくださっています。

https://medium.com/kenchikutouron/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E5%BB%BA%E7%AF%89-%E5%BA%8F%E8%AA%AC-%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%B7%B3%E8%AB%96-b50f89c37cfe

 

松永発言部

古いところだと中沢新一さんが「バグと戯れる」っていう話をしているじゃないですか[8]。これは『ゼビウス』が具体例ですけど、バグというのはようするに機械の内にすでにあるものです。作り手は想定していない、それが正当な遊びだと思ってはいないんだけれども、ただ機械の内にもうそれが物として存在しているので、プレイヤーはバグを使って遊べる。 

 

 シカールに対する言及としては、問題ないと思うのですが、

 この後吉田さんも僕の話に言及してくださってますが、

(1)『ファクトリオ』のプレイヤーが、徐々に飽きながら焦点を変える

(2)ゼビウスのプレイヤーが、いろいろやりつくして、半ば飽きながらバグで遊ぶほうほうを創り出す

(3)飽きるのとは、関係なく、何かの物体を「遊び心」によって流用をする

 というのは、個人的には、分けて考えたいと思っています。(2)のような、飽きが関係した末の予定外の方向へのシフトだと、学習プロセスの一部に位置づけられうるものになるので、シカールの言うところの純粋に「ディオニュソス的」なものというより「アポロン的」なもの中間として位置づけられてしまうかな、と思っています。

 シカールの議論は(3)の部分に全体として注目しているところが多い議論だろうと思っています。

 この(1)(2)(3)が違うというのは、かなり前から、地味に脚注とかで何度か主張している程度なのですが、けっこう重要な区分だと思っています。

 これに関わるところで、

 

 松永発言部

「縛りプレイ」とかがわかりやすい例で、自分で何か縛りを設定することによってチャレンジを作るということで、それもある種の流用として理解できるのかなと思います。

 ここも、細かいツッコミされても正直こまるとは思うんですが、この議論の流れだと、ちょっとだけ違くて、

 『ファクトリオ』の焦点移動は完全にゲーム開発者の想定範囲内で起こることなのですよね。「飽き」のタイミングは、ゲーム開発者がけっこう予測できてしまうので、「飽きるかな?」というところをテストプレイなどの結果をもとに、予測・調整して、ゲームの標準的な遊び方のプロセスに組み込んでしまえるものなんですよね。

 一方で、しばりプレイの話は上記の(2)のケースで、これは開発者側にはこまかくは予測がつかない。なので、(1)の話の文脈と(2)の話の文脈がつながると、若干の違和感がありました。

 

追記:松永返事へのコメント

お返事いただいた。

 

>表

 表のような論理的分類として考えていたというよりは、ゲームを遊ぶ時の一連の運動的なプロセスとして想定していたので、表にされると「おおっ!」という感じで驚きがあり、よかったです。

 「カーニバルのような〈主体的ではないが形式から逸脱する遊び〉」は、面白いですね。「逸脱」というのが、主体的なコミットメントを必要としない概念として考えるのなら、そういうのはありうるのかも……。(個人的には、「逸脱」概念は主体的なコミットメントとセットだと思っていたので、ありうるとは想定していませんでした)

 シカールの話にもどすと、松永訳pp29-30あたりとか、一章の注44あたりを読むと、シカールのカーニバル概念は、ちょっと西田清和「遊びつつ遊ばれる」みたいな概念、ぽい感じがあり、「主体的なコミットメントがないけど、ある」みたいなタイプの想定のようなで、4つめそのものとも違うものみたいで……こういうの入れると2*2で4タイプじゃなくて、2*3の6タイプぐらいの話になるやもしれませんね。

 

ゲーミフィケーション(やメタAI)が既存の体制への抵抗かどうか

 「設計者の意図に沿う」という意味ではその通りだとおもいます。

 ただ、その場合、設計者が、

(1)中国共産党の幹部などの実世界の権力者が設計したゲームなのか

(2)デモの旗振り役の人が設計したゲームなど、既存体制への抵抗者が運動の組織化のために仕掛けたものなのか

によって意味が違ってくるので、すべてのゲーミフィケーションが既存体制に利用される、という懸念はあまりもっていないです。

 

>剰余説的な話

 剰余説は、個人的にはあまりピンときていなかったので、面白い論点だと思います。

 剰余説にしっくり来ていなかった理由というのがあるとすると、学説として聞くには聞くけど、認知科学的な議論のなかでの実証があるという話を聞かないためだと思います。(ただ不勉強なだけかもしれませんが……)

 心理系の話だったらそれに近そうなものとしては、カール・ビューラーが100年ぐらい前に言っていたの「機能快 Funktionslust」 の概念*1とかをおもいつくぐらいで、実証的とはとても言えない感じですが。「潜在的に」というのが、実証系の研究でやりにくい話なのかもしれません。

 

 ただ、

「繊細でいわく言い難い行為(=美的行為)をおこなう能力(身体能力であれ思考能力であれ)」

 を人間が備えうるというのは、剰余説的な枠組みではなく、一般的な認知科学系の議論でもいけそうな気はします*2

 その美的行為の能力が

 1.オギャーと生まれる頃には発現している能力なのか(ほぼ先天的)

 2.人間の発達プロセスのなかでだいたいの人に発現する能力なのか(臨界期のときに獲得。)

 3.人によってはそういう能力を身につけることもある(後天的な学習)

 のどれにあたるのかが謎で、

 強化学習とかフロー体験みたいなものを起こす能力は、発生的にはかなり幼い段階で獲得している印象があるんですが、「美的行為」みたいのは、強化学習的な話というより、強化学習をしたあとに見えてくる風景みたいな気がするので、すくなくとも2歳児ぐらいはまだ持ってないのではないかという気がします。5歳児ぐらいだと人によっては、ありそう(雑予想なので、雑に聞いて下さい)。いずれにしよ、臨界期のプロセスのなかで徐々に獲得される能力の一つなのではないかという気はします。

 ただ、僕もシラーはぜんぜんタッチできてないので、勉強しよう……

 

 

 

 

 

 

 

*1:Karl Bühler,Die geistige Entwicklung des Kindes. Verlag Gustav Fischer, Jena 1918.(=邦題:『幼児の精神発達』 (1966年、原田茂訳、協同出版)

*2:キーワード的には、これは、何を調べればいいのか、ぱっと思いつかないですが。なんか、知らないだけで多分、一群の研究がありそう

ゲーム論とサイボーグ

関連論文収集用のページです。

 

◆Keogh, B. (2015). A play of bodies: a phenomenology of videogame experience.

https://researchbank.rmit.edu.au/eserv/rmit:161442/Keogh.pdf

240ページの「Players as Integrated Cyborgs」あたりで明確に「ゲームプレイヤーはハッカーなのではなくサイボーグなのである」と述べている。

 

根村直美. (2011). 生成としてのサイボーグに関する一考察. In 日本社会情報学会全国大会研究発表論文集 日本社会情報学会 第 26 回全国大会 (pp. 89-94). 日本社会情報学会. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasi/26/0/26_0_89/_pdf/-char/ja

───(2006)情報社会における「自己」の多元性:その倫理的可能性,日本社会情報学会学会誌 日本社会情報学会学会誌 18(1), 31-44,日本社会情報学会

 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10484361

 基本的には、シェリータークルの話をしている。

 

 

 

吉田さん「プレイバー論の射程」

読んだので、短いメモ。

 

吉田 寛「プレイバー論の射程」『ポップカルチャー・ワールド概念を用いたポップカルチャー美学の構築に関わる基盤研究 研究成果報告書 2016-2018年度 2018年度
研究集会「インスタ映えの美学 ─溶解する『写真』と『現実』」』室井 尚研究室,pp25-30

https://www.academia.edu/38721485/On_Playbour_In_Japanese_2019_

 

要約:

1.ハッカー倫理的な遊戯と労働が不可分になった感覚と、フォーディズム的な労働時間管理的世界観において仕事の時間とオフタイムがしっかりと分割されるような労働観はそもそも別物だよね、という論点を確認した上で、

2.労働と遊戯が不可分になった「プレイバー」的状況は、ある種の創造的な事態でもあったが、無償労働としての側面ももってしまっていることについて問題提起している。大塚英志も「物語消費」ではなく「物語労働」という概念を使うべきだったと最近は言っている

 

感想など:

  • 前半の世界観の違いに言及するだけでなく、後半の「無償労働」としての論点まで触れていたりするのが好印象。あと吉田さんからレギュラシオンとかに言及があったのはちょっと意外。
  • ゲーミフィケーションとやりがい搾取の話が表裏一体であるという話と基本的には、同種の話ではある。
  • そして、こういう話を読むと、鈴木健なめらかな社会とその敵』の講評会のときの議論を思い出す。近代的な制度区分の中間領域を豊かにしていこうとすると、近代的な制度区分がエラーを起こすので、中間領域をハッピーにしようと思うと、既存の制度との間の調整をやっていかざるを得なくなる https://togetter.com/li/561596
  • プレイバーが無償労働でもありうるという議論自体は、そのとおりだと思うが、これは(A)本質論的な話として提起されている問題なのか(B)それとも今後、制度的な調整をすべく、現状として起こっている社会問題の確認なのか、どちらのものとして吉田さんは主張をしているのだろうか
  • この問題について、私の立場は基本的には、後者(B)であり、プレイバー的な問題に対するガイドラインを作るだとか、制度間の不均衡をなんとかするための方策に向けた議論を、中長期的にやっていかないといけないだろうと思っている。(私自身、そういった活動をしなければいけないと思っているが、残念ながら時間がとれていない。)
  • (A)の立場だとすると、労働や遊戯の概念について、より込み入った議論を展開してくれると面白そうだという気がする。
  • プレイバーの議論に限らずより大きな話をするのであればテクノロジーによってもたらされた既存の社会システムのエラーであり、トリスタン・ハリスとかの議論にもつながっていくものかと思った。https://wired.jp/special/2019/ai-yuval-noah-harari-tristan-harris

 

2019年度からの職位について

2019年4月1日からの職位は下記の通りとなります。

 メインの勤務先は引き続き立命館大学(京都、衣笠キャンパス)となります。前期の月曜は立命館にいませんが、その他の日は概ね立命館のほうで仕事をしているかと思います。

PLANETS vol.10、宣伝と途中までの感想など

f:id:hiyokoya:20181019205733j:plain

 『PLANETS vol.10』、10月5日に発刊されました。

 さいきん、ネットから少し遠ざかっているなか、研究メモ以外のひさしぶりのエントリが宣伝的なエントリで恐縮なのですが…。

 ふわっとした宣伝&感想などだらだら書きます。

 PLANETS vol.10は、戦争と平和」特集ということで、私の原稿はともかく、伊勢崎賢治×黒井文太郎×橘宏樹の専門家座談会とか、藤井宏一郎さんによる平和マーケティングの話とか、消極性デザイン研究会の話とか、刊行されてからはじめて一読者として読みましたが、とてもおもしろく勉強になりました。

  • 上の原稿:戦争については、言うまでもなく非専門家なので、ゲームの話をする人としての立場から、話せる範囲でなんとか…というところでがんばりました…。PLANETSでやっている長い長い連載の、第一回、第二回あたりからつながるような話になるように、と思って書かせていただきました。
  • 少しだけネタバレしてもいいような話をダラダラすると、ホイジンガホモ・ルーデンスって、けっこう戦争と遊びの相性の話をいろいろとしてるんですよね。『ヴィンランド・サガ』とかで、ヴァイキング同士が、遊ぶように戦っている描写がありますけれど、たぶん、ホイジンガが扱っているのはああいうタイプの戦いのことだと思います。コンピュータ・ゲームにおける戦争って、そういうタイプの祝祭性みたいなものを、まだ系譜として引き継げているとは思うのですよね。一方で、日常風景の中に入り込んだ解決の難しいコンフリクトみたいなもの(いじめとか、差別とか)ってのは、祝祭的な「戦い」とは別のレイヤーの話だと思うのですけど、それが交じるというのがなんかすげぇよな、と思います。
  • 戦争と遊びの関係の歴史というのは、本当にいろいろな話があるので、そこの関係について、どれだけ書けていると言えるかはわかりませんが、それなりに面倒な話の、比較的わかりやすい部分をとりだして書いてみた…つもりです。
  • 伊勢崎×黒井×橘座談会:今回の号の原稿の依頼を頂いたとき、「おわっ、伊勢崎さんたちと同じ誌面で、戦争とかの話するのかよ…やべぇ…いろいろとヌルい話が許されない感じだ…」と緊張したのですが、やはり、伊勢崎さんらの座談会は圧倒的に面白かったです。情報量がすごいので、あまりどういう方向にまとめるというのもアレなんですが、個人的に橘さんがこの座談会のなかで置かれた立場がちょっと面白かったなと思いました。橘さんは一応、学部時代に国際政治学系の話をやられたということなので、戦争関連の話を全く知らんわけではないけれども、そっち系の外交担当とかで仕事をされてらっしゃるわけではないので、質問の粒度が、ほどよく僕の知識量プラスαぐらいの感じで、専門的になりすぎる手前で話を引き戻してくれていたのがよかったです。
  • あと後藤さんによる脚注とキーワードも、非常に読み応えがあって勉強になりました。
  • 藤井宏一郎さんの平和マーケティングの話は、なるほど、これがPLANETSの中に入ってくるのは非常にしっくりと来る…!という、驚異的なフィット感がありました。そして、なんか、細かい話がなんか、いろいろと他人事と思えないところとがいろいろありました。企業の人にこういうところにどうやってコミットしてもらうかとか、本当にむずかしい話を、やってらっしゃって、ただただ尊敬。
  • 消極性デザイン研究会のみなさんの話は、ほのぼのと読みました。

 

 というわけで、お買いもとめいただけましたら幸いです。

wakusei2nd.com