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Critique of Games メモと寸評

http://www.critiqueofgames.net の人のブログです。あんまり更新しません。

パントマイムが熱い。

ビデオゲーム

スペースチャンネル5』や、『Rez』などでUGAへのアドバイザーとしても活躍していたというパントマイムの達人、荒木シゲルによる『荒木シゲルのアニメーションサイエンス』(DVD)をたまたま見る機会があって、ぼんやりと見ていたのだけれども、これは予想以上に面白い。
荒木シゲルのアニメーションサイエンス[DVD]?アニメーターのための演出理論
まずは、喜怒哀楽の詳細な表現パターンを人体でどのようにみせるかといったような「人体」をいかに記号的に見せるか、という発想を強力におしすすめ、次に、人体の記号化をいかにして破壊し、ズらしてみせるか、という形で議論をすすめる。単に身体の計測不可能性について語るのではなく、また、逆に身体の計測可能性についてのみ語るわけでもなく、身体のディテールに対して細かい解説を加えていく手腕が見事。

ここで荒木シゲルが展開しているような知識をまったく欠いていたのが、90年代後半の3Dポリゴンゲームの演出作法だろうと思います。
 2Dの時代は、手塚治虫が「漫画記号論」という話をしていたのとまったく同様に、ゲームのキャラクター映像も「記号」のイメージだったわけです。それは単に、キャラクターがドットであらわされているという意味ではなくて、笑った表情だとか、悲しんでいる表情というのが、非リアル系漫画と同様に簡単なお約束ごとの集積として表現されているという点です。露骨なのは、目がアーチ型になっていれば「笑っている」の記号になり、それに水滴型の汗のマークが加われば「苦笑い」の記号になる、といったような。
それが、3Dになってから、いきなりそういう記号的表現をやめてしまった。それは、開発者の頭が悪いからやめたわけではなくて、2D的な記号表現を3Dに持ち越すことが難しくなり「できなくなった」からやめたわけです。そして、そのような単純な記号的表現をやめたところで、あらたな表現をきちんと獲得できたのか、というと、それには失敗していた(これは、例えば、FF8あたりの、8頭身キャラのぎこちない動きを見ればあからさまに感じる)。
最近になると、3Dでの身体を記号的に取り扱うための、荒木シゲル的な、3Dキャラクターの身体動作をいかに記号的に見せていくか、という知識が不可欠だということが開発者の側にとっても常識になりはじめ、ようやく見れるものになってきた印象があり、最近のグラフィッカーの人々は、当然のようにこの種の知識をもっているはずと思われますが、ここらへんの知識がきっちりと普及してきたのは本当にここ数年のことでしょう。