Critique of Games メモと寸評

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瀬戸内哲学研究会「eスポーツの倫理学」

@広島大学です。山陽道をどんどんと西に移動しています……。

 

https://drive.google.com/file/d/19LrqFPLlLRSecinGoYQeyqphJs0rnOvo/view

日時:2019年9月4日(水)
場所:広島大学東千田キャンパス 東千田校舎A棟404講義室

第一部 eスポーツ倫理研究キックオフミーティング
岡本慎平(広島大学)「ビデオゲームがなぜ倫理の問題になるのか?」
萬屋博喜(広島工業大学)「eスポーツとしての格闘ゲーム
長門裕介(文京学院大学)「eスポーツ競技のエトスとはなにか」

に参加してきました。私も一応研究メンバーということで、名前を連ねさせていただいております。

 

下記、本当に雑なメモですが、晒しておきます。

 

■岡本発表
帰結主義的批判:悪影響を根拠にしたもの。 

(※井上:依存の話はあるので、あとで要追加)
 e-sportsを部活でやるとなった場合:子供が長時間プレイするということは起こりうる

*表現内容への批判:ゲームそのものが不道徳である(暴力的・差別的表現等) レーティング 「不道徳な芸術」問題 Garry Young 2014 人気のゲームの大半が暴力的、という批判は一理ある
対人プレイにおける倫理 特定のプレイが倫理的に不正 オンライン対戦における不正は帰結主義的にも、義務論的にも不正 Kimppa.K.K. and Bissett A. K. 2005 The ethical significance of Cheating in Online Computer Games", International Review of Information Ethics, vol. 4.
 義務論:相手に対する裏切り 帰結主義的:
 オンラインゲームのなかのものを「盗む」というのはありうる話なのか 2012 Litska Strikwerka
 AIに対する倫理 ゲームのCPU戦こそ、AIの倫理の適用可能な物足はないか

 

Christopher A. Paul (2018) The Toxic Meritocracy of Video Games: Why Gaming Culture Is the Worst,University of Minnesota Press.

 Miguel Sicart (2009) The Ethics of Computer Games, the MIT Press. 

Miguel Sicart (2013) Beyond Choices: The Design of Ethical Gameplay. the MIT Press 

Garry Young (2014) Ethics in the Virtual World: The Morality and Psychology of Gaming, Routledge.


RTA(Real Time Attack)の倫理

 

萬屋さん

格ゲー少史的な話の整理。

ヒュームの研究者であるが、長年の格ゲープレイヤーでもあるとのこと。

 

(井上:スポーツ概念の歴史的変遷については、阿部さんの『近代スポーツマンシップの誕生と成長』を参照するとよいのでは)


長門

 

「スポーツの試合の存在目的というのは、同意されたルールによって規制された制限の範囲内で、どちらが空間時間の中で身体/用具を動かす能力に優れているのかを、互いに試し合うための公正な機会を提供することである。」(フレイリー1989:56)

ウォレン・フレイリー (1989).『スポーツ・モラル』、不昧堂出版

 

規範的含意:
• 競技スポーツにおけるルールの改正は卓越者を正確に認識する可能性を高めるものでなければならない。
• ルールの改定はそれぞれのスポーツのエトス(本質)を参照して行わなければならない。

 

ビデオゲームはゲーム内部的には規制的 regulative な規則をほとんど必要としない、あるいは規範のありかたが典型的なスポーツと異なる。

 

(井上:公平性をエトスとするというのは面白い、ゲームの場合売れるかどうか、面白いかどうか
ルール、規範を必要としない
ルールの階層性があるのかガバナンスのプロセスからして、スポーツと言えないのではないかと
>プロセスの階層性はたしかに薄いが、そこがないわけではなく、 実質的にはunofficlalにconventionalなruleなどの階層性は生じるといところと、official ルールに反映されないという齟齬が沢山おこる構造になっている  そこが未熟だとも言えるし、面白いとも言える
 そこを民主化していないだけで、独裁的にプレイヤーたちの期待を予期しているのでは
サーフィンや登山は、ルールや卓越性と関係がないのでスポーツではないとみなす学者は多い)

 

■質疑
長門

ゲームのルールを構成的規則で説明すべきではなく「波動拳がでる」とかは、因果関係ではないか簡単にサール的な枠組みを使うことはできないのではないか
萬屋

因果的と言えるのでは
>質問

regulative と、構成的というのに分けるのが本当によいのか。サールの枠組みはゲームに簡単に敵とすることはできないのではないか

 

 

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■雑感

全体的に質問のレベルも発表のレベルも高めで、楽しかった。

サールの「構成的規則」をビデオゲームにそのまま適用してよいのかどうか、という論点は、とても興味深い。

31日の松永本の書評会でも「因果」概念の構成が問題になったが、ビデオゲームにおいて「因果」概念をどのように適用するのか、ということはもう少しつきつめて考えておきたい。